去年のこの時期、助手は「アジアンフード熱」にかかり、毎日のようにチヂミだチャプチェだ、ベトナム風生春巻、フォー等を作っていた。中華料理は日常的に作るので、生春巻きをいただいた夜は、ジャージャー麺をいただく、と行った具合にどこかの屋台村のような食生活であった。
ある日、小さい学生さんのご学友が遊びに来て、お昼も一緒に食べるということになったので、たぶんチヂミを焼いて出した。本場のチヂミはたれなど何も付けないで頂くのであるが、そこは若干日本風にコチュジャンベースのたれなどを付けて出した。小さい学生さんは、いつものごとくうまいうまい、と完食した。お友達は途中で「もうお腹一杯です」というので、「無理しないでいいよ」とお皿を下げた記憶がある。
しばらくたってから、小さい学生さんのクラスで助手=日本人ではないらしい説、が立ったそうだ。そこはかない悪意がこもった噂として。
助手自身は、初対面の中国人には必ず「私の祖父は山東省出身です」等のホラを吹くことにしている(笑)。それが真実でないのが残念至極な位なので、噂は笑い飛ばして終わりである。そもそも人種や国境概念が現在のように実体を持って受け入れられた(または規定された)歴史など、人類全体の歴史から見たらごく最近の事にすぎない。人類は文化間・文明間交流を通じて不断に己のそれを向上させてきたではないか。
また助手としては、一つの文化、文明、さらには居場所にとどまっていることが窮屈で仕方がない。日々の生活は平凡でもいいが、永遠に同じ場所で同じ約束事に縛られるのはなんとも苦しい。
だからせめて色々な食を通じて「旅」しないと。そして、食の段階から「旅」することを拒む人生ってナァ、そんなことを昨晩、石焼きビビンバを食べながら思い出した。